ベトナム人元技能実習生に逆転無罪判決 死産児遺棄の罪 最高裁

3年前、熊本県芦北町で死産した双子の赤ちゃんを自宅に遺棄したとして、死体遺棄の罪に問われたベトナム人の元技能実習生の裁判で、最高裁判所は執行猶予のついた有罪とした1審と2審の判決を取り消し、逆転で無罪を言い渡しました。

無罪を言い渡されたのは、ベトナム人のレー・ティ・トゥイ・リンさん(24)です。

リンさんは、技能実習生だった2020年11月、死産した双子の赤ちゃんの遺体を段ボール箱に入れて芦北町の自宅に放置したとして死体遺棄の罪に問われました。

死産したあとの行動が死体遺棄罪の「遺棄」に当たるかが争点で、24日の判決で、最高裁判所第2小法廷の草野耕一裁判長は「習俗上の埋葬とは認められない形で死体などを放棄したり隠したりする行為が『遺棄』に当たる」という考え方を示しました。

そのうえで、リンさんの行為について「自宅で出産し、死亡後まもない遺体をタオルに包んで箱に入れ、棚に置いている。他者が遺体を発見するのが難しい状況を作り出したが、場所や遺体の包み方、置いていた方法などに照らすと、習俗上の埋葬と相いれない行為とは言えず、『遺棄』には当たらない」と判断し、1審と2審の有罪判決を取り消して逆転で無罪を言い渡しました。

裁判官4人全員一致の結論でした。

今回の事件は、技能実習生だったリンさんが帰国や退職を迫られることをおそれて妊娠を打ち明けられず、孤立出産に追い込まれた背景があり、無罪を求める署名は9万5000筆余りに上っていました。

最大の争点は死体遺棄の罪にあたるかどうか

最大の争点は、元技能実習生が死産したあとに取った行動が、死体遺棄の罪にあたるかどうかでした。

死体遺棄罪は、一般の人が抱く死者を敬う感情や宗教感情を害する形で遺体を隠したり放置したりした場合に成立するとされています。

元実習生は双子の赤ちゃんの遺体をタオルで包んだうえで、2人の名前と生年月日、それに「天国で安らかに眠ってね」などと書いた手紙を添えて段ボール箱に入れて、さらにその上から別の白い箱に入れてテープで封をし、棚の上に置いていました。
翌日、病院で医師に死産したことを伝え、事態が明らかになるまでの時間はおよそ33時間でした。

こうした行為について1審の熊本地方裁判所と2審の福岡高等裁判所はいずれも「宗教感情を害する行為で死体遺棄の罪が成立する」と判断し、そのうえで2審は1審より軽い懲役3か月、執行猶予2年の判決を言い渡していました。

弁護士「実習生が孤立しない社会になるきっかけに」

判決のあと、最高裁判所から出てきた石黒大貴弁護士が「無罪」と書かれた紙を掲げると、集まった人たちから「よかった」などと歓声が上がりました。

石黒弁護士は「リンさんがとった行動が犯罪ではないとようやく認められた。この無罪判決が実習生が孤立しない社会になるきっかけになってほしい」と話していました。

最高検察庁「誠に遺憾だが真摯に受け止めたい」

無罪判決について最高検察庁の吉田誠治公判部長は「検察官の主張が認められなかったことは誠に遺憾であるが、最高裁判所の判断であるので、真摯に受け止めたい」とするコメントを出しました。

リンさん「心からうれしい 実習生が安心して出産できる社会に」

判決のあと弁護団が会見し、リンさんもオンラインで参加しました。

リンさんは「無罪判決を聞いて、心からうれしいです。これまでの2年4か月は本当に長かったです。犯罪者として大きく報道され、ニュースやSNS上でいろいろ嫌なことが書き込まれ、それらを見るたびに何度も心が苦しめられ、心が折れかけました。そのたびに、多くの人に励まされ、きょうまで頑張ることができました」と振り返りました。

そして「きょうの無罪判決で、妊娠して悩んでいる実習生が相談でき、安心して出産できる社会に日本が変わってほしい」と訴えました。

支援団体によりますと、リンさんは判決を伝えられるとベトナムの家族に報告するなど喜んだ様子だったということです。

また、石黒大貴弁護士は「最高裁がわれわれの主張を真正面から受け止めてくれた。技能実習生は日本語が完璧にできる人がほとんどいないなど“孤立と隣合わせ”の存在だ。判決には孤立の末に取った行動が罪に問われる社会になってはならないというメッセージが込められていると思う」と評価しました。

そのうえで「実習生が孤立して追い込まれないよう政府には実習生を積極的にサポートしていく視点を持ってほしい」と話しました。

技能実習制度が抱える矛盾 改めて浮き彫りに

リンさんの裁判は、技能実習制度が抱える矛盾を改めて浮き彫りにしました。

外国人が日本で働きながら技術を学ぶ技能実習制度は、発展途上国の人材育成という国際協力を目的に1993年に創設されました。

去年6月時点で日本にいる実習生はおよそ33万人、このうちおよそ4割が女性です。

実習生には日本人の労働者と同じく労働関係の法律が適用され、妊娠や出産を理由に解雇などの不利益な扱いをすることは禁止されているほか、産休などをとることもできます。

一方で、厚生労働省によりますと、妊娠や出産を理由に技能実習を続けられなくなった人は2017年12月から2020年11月までの3年間で637人に上っています。

リンさんの裁判でも、1審判決は「妊娠が解雇の理由にはならないとはいえ実際には仕事ができずに収入がなくなるため、家賃や生活費が出せなくなり帰国に追い込まれてしまう。そのような状況を十分にサポートする制度もなく、実習生にとっては厳しい環境だった」と言及しました。

妊娠・出産をめぐるトラブルも各地で起きていて、出入国在留管理庁が去年、ベトナムやフィリピンなど7か国の女性の実習生を対象に初めて実態調査を行ったところ、回答した650人のうち、母国の送り出し機関や受け入れを担う日本の監理団体、それに実習先の企業などから「妊娠したら仕事を辞めてもらう」など不適正な発言を受けた経験があると答えた人は、およそ4人に1人に当たる26%でした。

また、実習生の受け入れを担う監理団体や実習先の企業などから妊娠や出産を理由とした解雇などの不利益な扱いが禁止されていることを説明を受けて知っていると回答した人は59%でした。

国は監理団体や企業に対し、妊娠や出産に関する支援策を実習生に説明することなどを通知していますが、監理団体からは「実習生を受け入れるような企業は慢性的な人手不足で、ただでさえ余裕がなく、実習生の妊娠出産のことまで考えられない」という声もあります。

人材育成が目的のはずの制度が、実際は労働環境が厳しい業種を中心に人手を確保する手段になっているとの指摘もあり、去年7月には当時の古川法務大臣が「国際貢献という目的と人手不足を補う労働力としての実態がかい離しているとの指摘はもっともだ。技能実習生にとっては、わかりにくく、人権侵害が生じやすい制度となっている」という認識を示しています。

制度の見直しに向けて、政府は有識者会議を設置し、制度の存廃や再編も含めて議論を進めていて、秋ごろをめどに最終報告書を提出する予定です。

専門家「技能実習生は弱い立場」

技能実習制度の問題に詳しい東京大学の高谷幸 准教授は技能実習生の妊娠・出産をめぐる現状について「外国人労働者を受け入れる制度ではなく国際貢献の制度となっているため、技能実習生は職場で問題が起きたとしても、自分でほかの仕事を探してやめることは原則、認められておらず、雇用主や監理団体との関係ではどうしても弱い立場にある。母国で借金をして実習に来ている人も多いので、なんとか我慢しなければと思ってしまうのだろう」と指摘します。

そのうえで「働いているから日本への滞在が認められるし、住居も雇用主が準備する形で、妊娠・出産を含め働くこと以外の生活は想定されていない。『技能実習生らしく暮らしてください』ということだが、日本社会全体として、働くことと子育てを切り離してはいないか。外国人だけの問題という捉え方ではなく、子どもを産み育てることをみんなで支える社会になっているか考えることも必要だ」と話しています。

元裁判官「判決は非常に明快」

最高裁判所の判決について、刑事裁判の経験が長い元裁判官の半田靖史弁護士は「被告の行為にしっかり目を向け『習俗上の埋葬と相いれない行為か』というわかりやすい観点で判断していて非常に明快だ。愛情を込めて遺体を丁寧に扱ったことや、発覚まで一日余りしかたっていなかったことを評価すれば、罪には問えないと判断したのだろう」としています。

今回の判決が孤立出産の問題に及ぼす影響については「判決の理論や結論だけで見ると必ずしも影響は大きくないと思うが、技能実習生が不安におびえて孤立出産してしまうことを防ぐ社会的なムーブメントを起こすきっかけになるのではないか」と話しています。

そのうえで「近年、孤立出産が背景にあるとみられる死体遺棄事件も目立つが、中には今回のケースと似たようなものもある。単に警察に届けなかったというだけで罪に問うのではなく、死産した赤ちゃんをどのように扱ったのかを慎重に判断する必要がある」と話していました。

慈恵病院 蓮田健院長「同様の事件は今後も起きうる 基準作りを」

育てられない子どもを匿名で受け入れる「こうのとりのゆりかご」を熊本市で運営し、熊本地裁での裁判の際に意見書を提出した慈恵病院の蓮田健院長が最高裁判所の無罪判決を受けて記者会見し「非常にうれしいし、よかった。本人の名誉のためでもあるが、裁判を通じて実習生や孤立出産した女性たちへの対応が変わったような気がするので大きな意義があったと思う」と述べました。

そのうえで「同様の事件は今後も起きうると思う。女性が孤立して出産や死産をした時にどう扱うのか、警察や司法、医師会である程度の基準などを作ってもらいたい」と話していました。

熊本県で技能実習生を派遣している団体の関係者は

カンボジアやベトナムからの技能実習生を受け入れ先に派遣している、熊本県の監理団体の関係者は、「実習生の多くが稼ぐために来日し、企業側も人手不足を補う上で実習生を都合のよい存在として受け入れている実態は否めない」と話します。

一方で、これまで受け入れていた国の実習生のなかには、若い世代を中心に、韓国などより賃金の高い国を希望する人も増えていて、厳しい労働環境で慢性的に人手不足とされている農業などの仕事を希望する実習生は、減ってきているといいます。

この関係者は「実習生の受け入れ先の多くは慢性的な人手不足で、実習生の妊娠や出産のことまで考えられず、産前産後休暇などの制度についても理解が及んでいないのが現状だ。国は、実習生をめぐる問題を根本的に見直さないと、海外の実習生から見放されることとなり、人手不足の業種は今後、立ちゆかなくなる可能性があることを意識すべきだと思う」と話しています。