トルコ・シリア大地震1週間 死者3万人超 救助続く

トルコ南部のシリア国境近くで大地震が発生してから13日で1週間になります。トルコとシリアの両国では、これまでに合わせて3万5000人以上が死亡し、今も多くの人たちが倒壊した建物の下に取り残されているとみられ、懸命の救助活動が続いています。

(時刻は日本時間で表記しています)

13日 地震発生から175時間 女性が救出

ロイター通信によりますと、トルコのハタイ県では、地震発生から175時間、7日以上にわたってがれきの下に閉じ込められていたという女性が救助隊によって救出されました。

女性は、毛布に包まれて助け出され、辺りにいた人たちから拍手が起こる中、救急車に乗せられ、病院に搬送されたということです。

13日16:30ごろ 建物の倒壊現場 家族の救出を信じ待つ姿

トルコ南部の都市、カフラマンマラシュの倒壊した建物の捜索現場ではいまも多くの人たちが家族の救出を信じて待ち続けています。

テベフィク・オズウェリさん(50)は、地震が発生した直後から弟と一緒に、この建物に住んでいた兄の一家の捜索を見守ってきました。

現場では、これまでにオズウェリさんの兄とその妻、それに、たまたま泊まりに来ていた兄の息子夫婦のあわせて4人が遺体で見つかったといいます。

見つかっていないのは兄のもう1人の息子のエルトゥールさん(20)だけで、オズウェリさんは「残念ながら4人が亡くなりましたが、せめて1人だけでも生きていてほしいです。彼は自分の部屋では見つからなかったので、どこかで生き延びていると信じています」と涙ながらに話していました。

13日16:00ごろ トルコ南部の公園 避難者は1万人超に

1万人以上が犠牲になったトルコ南部のカフラマンマラシュでは、幹線道路沿いにある公園が避難所となっていて、被災した人たちがまきストーブや食べ物を求めて行列を作っていました。

避難所の管理者によりますと、ここに避難する人は日に日に増えていて、現在は11日の倍以上の1万人余りになったということです。

避難所の入り口には、飲み物や洋服、それに紙おむつなどの支援物資が積まれ、ボランティアやトルコ軍の兵士が避難している人たちに配布していました。

避難所には仮設の診療所も設けられ、持病の薬を求める人などが相次いで訪れていました。

診療に当たる医師は「誰もが慣れないテントでの生活で体調を崩している。感染症が広がらないように衛生面も気をつけなくてはならない」と話していました。

トルコ 100人以上に拘束命令 “建物の倒壊に責任がある”

トルコでは、倒壊した建物の建設などに関わった業者の責任を追及する動きが出ています。

オクタイ副大統領は12日の記者会見で、今回の地震で大きな被害を受けた10の県に、地震に関わる犯罪を捜査する事務所を設置したと発表しました。

捜査の結果、死傷者が出た建物の倒壊について責任があるとして131人の容疑者を特定し、このうち100人以上に対して拘束命令を出したとしています。

トルコの政府系通信社、アナトリア通信などは、警察当局が複数の容疑者をすでに拘束したと伝えています。

13日15:00すぎ 日本の政府専用機 トルコへ出発 資機材を輸送

被災地で活動する医療チームにテントやベッドなどの資機材を輸送するため、日本の政府専用機が13日午後3時すぎにトルコに向けて出発しました。

政府専用機は、日本時間の14日にもトルコ南部にある空港に到着し、その後、資機材は被災地に設けられる医療チームの拠点に陸路で運ばれる予定だということです。

WHO “被災者 最大で2300万人に上る可能性”

被災地では多くの人たちが住む家を失い厳しい寒さの中で避難生活を強いられており、各地で支援が続いています。

被災者はトルコ国内だけで1300万人に上り、WHO=世界保健機関はトルコとシリア両国の被災者の数は、最大で2300万人に上る可能性があるという見方を示していて、救助活動とともに被災者の支援が課題となっています。

12日 トルコ南部ハタイ県 親子2人救出

トルコ南部ハタイ県では、地震から140時間以上が経過した12日、がれきの下に取り残された親子2人が救出されました。

ロイター通信によりますと、2人は35歳の父親と11歳の娘で救助隊員らが協力して女の子を救出して救急車に乗せると、隊員らは抱き合いながら生還を喜びました。

13日朝 浜田防衛相 医療チームの活動に必要な物資輸送 指示

浜田防衛大臣は、外務省から医療チームの活動に必要な資機材を現地に届けるよう要請があったことを受けて13日朝、自衛隊に対して国際緊急援助活動としての輸送を命じました。

これを受けて、自衛隊は13日に政府専用機で輸送を始めることにしていて、北海道の航空自衛隊千歳基地を出発したあと、成田空港で資機材を積み込んだうえで現地に向かうことにしています。

防衛省によりますと、医療チームは現地でテント型の手術病棟を設置して対応に当たることにしていて、資機材の中にはテントや入院ベッド、それに手術台などが含まれるということです。

海外での地震や津波などの発生を受けて自衛隊が国際緊急援助活動を実施するのは今回で25回目です。

12日21:00ごろ がれきの中から女の子を救出

震源に近いトルコ南部のカフラマンマラシュでは、5000人を超える犠牲者が出ていて、日本の国際緊急援助隊をはじめ、世界各国の救助チームが壊れた建物の下敷きになった人たちの捜索活動を行っています。

12日午後1時ごろ(日本時間午後7時ごろ)、7階建てのアパートが倒壊した現場で、救助隊の1人が人の声に気付き、電動ドリルなどをつかってがれきを取り除いていきました。

現場では2次災害を防ぐために重機2台のバケット部分を、救助隊の頭上にあるがれきの斜面に押しつけていました。

そして、およそ2時間後の午後3時(日本時間午後9時ごろ)すぎ、がれきの中から救出され体温を保つためのシートにくるまれた女の子が担架に乗せられて、救急車へと運ばれました。

見守っていた人たちは、女の子の体調を気遣い、救急車が出発するまでは、声を出さないようにしていましたが、ひとたび救急車が出発すると、拍手と歓声で喜びを分かち合いました。

北マケドニアから救助活動に参加した男性は「彼女が生き延びてくれたことがうれしい。奇跡としか言いようがない」と話していました。

12日 住宅倒壊の危険度を調査

一方で、カフラマンマラシュでは、住宅の被害の程度を確認する調査を地元の市役所が進めています。

12日も職員らが3人1組で倒壊を免れたマンションやアパートを1軒1軒見て回り、外壁や柱、それに、鉄筋の状態などを外から見て確認していました。

この結果をもとに必要に応じて追加調査を行い、倒壊の危険度などを確定させていくということです。

調査に加わった建築の専門家は「建物が危険なら壊さなければならないし、危険が少なければ補強して安全を確保したうえで人々にまた住んでもらえます」と話していました。

この日も、補強すれば住めるようになると判定された建物があった一方で、8階建てのマンションは余震などで倒壊する危険が高いと判定されました。

そして調査に当たった職員がその結果を住民が自分で調べられるように、スマートフォンで読み取れるQRコードを入り口に貼っていました。

このマンションの住人で、今はテントで避難生活を送るムスタファ・アクトゥルクさん(53)は「私たちにとっては唯一の家で、ほかに買ったり借りたりできる家はここにはもうありません。冬のテント暮らしは寒くて厳しく、ほかのまちに移り住むことを考えています」と話していました。

被災地ではボランティアによる炊き出しも

トルコ南部の被災地では、国内各地からボランティアが駆けつけ、温かい食事を被災した人たちに提供する炊き出しが続けられています。

このうち、カフラマンマラシュの中心部には、被災者を励ましたいと、700キロ余り離れた西部の町からボランティアおよそ50人がバスとトラックなどに分乗し15時間かけて駆けつけました。

ボランティアたちは倒壊したマンションの捜索現場近くに拠点を設けました。

そして、ひき肉でつくられるキョフテと呼ばれるハンバーグに似た料理を炭火焼きで作り、野菜とともにパンに挟んで被災者や捜索活動にあたる人などにふるまっていました。

炊き出しには長蛇の列ができ、1万人分用意したという食事は4時間ほどでなくなったということです。

被災して家を失ったという20代の男性は「私たちは1人ではないことを実感しました。支援に感謝しています」と話していました。

呼びかけ人の男性は「被災者は食事を必要としていると思い、駆けつけました。被害は深刻ですが、被災者が前向きになるための力になれればと思います」と話していました。

12日夜 日本からも新たな医療チームを派遣

今回の地震では8万人を超えるけが人が出ているほか、病院などの医療機関も多数被害を受けていると報告されています。

こうした中、新たに国際緊急援助隊の医療チームが派遣されることになり、12日夜、羽田空港に医師や看護師、薬剤師など36人が集まりました。

被災地では長時間、がれきの下敷きとなることで体にたまった毒性物質が全身に回り、命を落とすこともある「クラッシュ症候群」の患者が多く見込まれるため、日本の医療チームは救助隊で唯一、救出後に必要になる人工透析の装置を持ち込み、治療にあたるということです。

チームには、東日本大震災で被災した経験を持つ人もいて、岩手医科大学の藤原弘之さんは「12年前の被災地と同じような被害が報じられているため、被災者に寄り添った支援を行いたい」と話していました。
医療チームの副団長を務める日本医科大学武蔵小杉病院の井上潤一医師は「今も氷点下の過酷な環境の中、心細い思いで支援を待つ人も多いと思う。少しでもトルコの皆さんの力になれるように活動したい」と話していました。

医療チームは、イスタンブールを経由して被災地の病院などに入り、今月24日まで活動を行うことにしています。