日航機墜落事故から37年 ことしも遺族などに限って慰霊の登山

520人が犠牲になった日航ジャンボ機の墜落事故から12日で37年です。墜落現場となった群馬県上野村では12日夜、新型コロナウイルスの感染防止のため村や日本航空など一部の関係者に出席者を限って追悼慰霊式が行われました。

昭和60年8月12日、お盆の帰省客などを乗せた日本航空のジャンボ機が群馬県上野村の山中に墜落し、国内の航空機事故としては最も多い520人が犠牲になりました。

事故から37年の12日、遺族などは墜落現場の「御巣鷹の尾根」を目指して慰霊の登山を行いました。

ただ、新型コロナや高齢を理由に断念した人もいたと見られ、12日午後4時の時点で訪れた人は49家族150人と感染拡大前の3年前より100人以上減りました。

午後6時からはふもとにある「慰霊の園」で、追悼慰霊式が行われました。

感染拡大を防ぐためおととしと去年に続いて遺族は参加せず、村や日本航空の関係者など、20人ほどに限られました。

式では犠牲者の数と同じ520本のろうそくに火をともし、墜落時刻の午後6時56分に黙とうをして犠牲者を追悼するとともに2度と同じような事故が起きないように空の安全を祈りました。

慰霊の登山 遺族は

墜落事故で高校2年生だった長女の知美さん(当時16)と、中学2年生だった次女の薫さん(当時14)の2人の娘を亡くした山岡清子さん(76)は、長男の直樹さん(55)と大阪から慰霊の登山に訪れました。

清子さんによりますと、知美さんは優しくてしっかり者で、薫さんは負けず嫌いで体を動かすのが大好きだったといい、近所でもうらやましがられるほど仲がよい親子だったといいます。

12日は清子さんが15年かけて折った千羽鶴をふだん保管している途中の山小屋で取って2人の墓標まで向かいました。

そして、墜落現場で見つかった遺品のカメラにおさめられていた2人の写真や、大人になる前に亡くなった2人とは飲むことができなかった缶チューハイなどを墓標の前に供えて静かに手を合わせていました。

年齢を重ねる中で真夏の登山が限界に近づいていると感じ、清子さんは2人とよく歌った歌を口ずさみながら近所を散歩して体力作りに励み、12日を迎えました。

清子さんは「息切れしそうでしたが、子どもたちに早く会いたいという気持ちで登りました。ここに来ると2人がどこかから出てこないかなと思ってしまいます。連れて帰りたいです」と話していました。

また長男で2人の兄の直樹さんは「ここに来るとほかのご遺族にも会うことができ、気持ちが楽になるのできょう1日だけ遺族であることを忘れられます。もう私たちのような『遺族』と呼ばれる人が出ないような社会になってほしい」と話していました。
弟の加藤博幸さん(当時21)を亡くしたさいたま市の小林由美子さん(63)は、夫や子ども、それに孫と一緒に御巣鷹の尾根を訪れました。

小林さんは「ここに来ることが私にとっての1年の終わりであり、下山をするとまた1年が始まります。お笑い芸人を目指していた弟は『いつも笑っていてね』とよく言っていたので、この山を下りたら涙をこらえて笑顔でまた1年頑張りたい」と話していました。

取材に応じたあと小林さんは、墓標に向かって手を合わせると涙を拭いながら「また来るね」とそっと声をかけていました。
父の若本昭司さん(当時50)を亡くした神奈川県大和市の若本千穂さん(57)は、息子の崚さん(30)とその妻の愛河さん(29)、それに孫の詩葉ちゃん(4)と湖凪ちゃん(0)のあわせて5人で御巣鷹の尾根を訪れました。

そして父の名前が書かれた墓標の前で静かに手を合わせていました。

千穂さんは「私にとってここはとても悲しくつらい場所であることに変わりはないのですが、家族で来られたということは、それ以上に私たちを包んでくれるような暖かくて優しい場所になってきていると思います。孫には『ここにあなたたちのひいおじいちゃんがいて、守ってくれているよ』と伝えていきたいです」と話していました。
奈良県御所市に住む田仲威幸さん(72)は事故で妹の吉田仁美さん(当時28)とその夫の哲雄さん(当時36)、そして2人の娘の有紗ちゃん(当時3か月)の一家を亡くしました。

田仲さんは12日の慰霊登山には1人で訪れ登山道の途中にある墓石の周りの草を取り除き線香をあげて手を合わせていました。

田仲さんは妹一家に対して「家族は元気でやっているよ。また会いに来たよ。来年も来ますよ」と報告したということです。

そして顔を合わせることができないまま亡くなっためいの有紗ちゃんについて「生きていたら今は37歳かと想像してしまいます」と話したうえで、慰霊登山については「体力が続く限り、登れる限り登り続けたい」と話していました。

日本航空 赤坂社長「より安全を高めていく」

日本航空の赤坂祐二社長は追悼慰霊式のあと、報道陣の取材に応じ「改めて520人の亡くなられた方に心からご冥福をお祈りするとともに、けがをされた方、ご遺族の方に心からおわび申し上げる。コロナ禍で慰霊式の規模は縮小になったが、実施できたことは皆さんのおかげであり、心より感謝したい」と述べました。

事故から37年がたった今、社員に求める心構えについて聞かれたのに対して「社員の多くは優秀なプロフェッショナルで、技術や技量への心配はないが、コロナ禍でコミュニケーションの方法や習慣が変わってきてしまっていると感じている。現場と管理部門、本社部門なども含めた相互のコミュニケーションを徹底させていきたい」と述べました。

また、ことし4月に北海道の知床半島沖で観光船が沈没した事故についての質問に対して「大変悲惨な事故であり、一刻も早く原因究明されて欲しい。航空のみならず運輸業界全体としてこうした事故をなんとか撲滅しないといけない。より安全を高めていく方法がないかを探っていく必要があると感じた」と述べました。