秋葉原無差別殺傷事件 加藤智大死刑囚に死刑執行

14年前、東京 秋葉原で7人が殺害された無差別殺傷事件で、死刑が確定していた加藤智大死刑囚に26日午前、刑が執行されました。死刑の執行は去年12月以来で、岸田内閣では2回目です。

加藤智大死刑囚(39)は、2008年(平成20年)6月、東京 秋葉原の繁華街にトラックで突っ込み、通行人をはねたりナイフで刺したりして、7人を殺害し、10人に重軽傷を負わせたとして殺人などの罪に問われました。

1審と2審は死刑を言い渡しましたが、加藤死刑囚側は、死刑は重すぎるなどと主張して上告しました。

2015年(平成27年)2月、最高裁判所は「犯行の動機に酌量の余地は見いだせない」と指摘し、上告を退ける判決を言い渡し、刑が確定していました。

そして、26日午前、収容されていた東京拘置所で、加藤死刑囚に刑が執行されました。

死刑が執行されたのは去年12月以来で、岸田内閣では2回目です。

古川法相“慎重な検討を加え執行を命令した”

午前11時から臨時の記者会見を行った古川法務大臣は、今回の執行の命令書には今月22日に署名したことを明らかにしました。

そのうえで「突然の凶行により命を奪われた被害者はもちろん、ご遺族の方々にとっても無念このうえない事件だ。裁判で十分な審理を経たうえで、最終的に死刑判決が確定したもので、法務大臣として慎重な上にも慎重な検討を加えたうえで、死刑の執行を命令した」と述べました。

また、古川大臣は死刑制度の存廃をめぐる議論に関連して「凶悪犯罪がいまだあとをたたないことをかんがみると、死刑はやむをえず、廃止は適当ではない」と述べました。

磯崎官房副長官“死刑廃止は適切でない”

磯崎官房副長官は、閣議のあとの記者会見で「古川法務大臣が法の定めるところに従って適切に判断したものと考えている」と述べました。

また、死刑制度のあり方について「国民世論に十分配慮しつつ慎重に検討すべきだ。国民世論の多数が、極めて悪質、凶悪な犯罪は死刑もやむをえないと考えており、凶悪犯罪があとを絶たない状況などに鑑みると、著しく重大な凶悪犯罪を犯した者に対しては死刑を科することもやむをえず、死刑を廃止することは適切でない」と述べました。

日弁連小林会長「死刑執行は大変遺憾」

死刑の執行を受けて日弁連=日本弁護士連合会の小林元治会長は「国際的に多くの国が死刑制度を廃止している中でまたも死刑が執行されたことは大変遺憾だ。ことし6月に懲役刑と禁錮刑を一本化して拘禁刑とする刑法改正がされたのも懲罰から更生への移行を意味するが、死刑はその理念と相容れない。制度を廃止するよう改めて求める」などとする声明を出しました。

収容中の死刑囚は106人に

法務省によりますと今回の執行により、全国の拘置所に収容されている死刑囚は106人となりました。

いわゆる「袴田事件」で死刑が確定した袴田巌さんは2014年に釈放が認められています。

再審・裁判のやり直しを求めている人は61人だということです。

被害者の男性“なぜ きょう執行なのか”

現在、宮崎市に住む被害者の男性はNHKの取材に対し「なぜあんな事件を起こしたのか本人も結論が出ないままだったのではないか」と話しました。

宮崎市に住む元タクシー運転手の湯浅洋さん(68)は、14年前、仕事中に東京 秋葉原で起きた無差別殺傷事件の現場を通りかかり、けがをして倒れている人に駆け寄ったところを後ろから刺され、4日にわたり意識不明の重体となりました。

湯浅さんは26日の午前、自宅でインターネットのライブ配信を通じ、死刑の執行についての古川法務大臣の記者会見の様子を見ていました。
湯浅さんは「二度とこのような事件を起こさないよう調べるために、もっとやるべきことがあったのではないかと思うと、なんで、きょうなのかという思いがある。なぜあんな事件を起こしたのか、なぜ、無差別だったのか、本人も結論が出ないままだったのではないかと思う。残念だ」と話しました。

そのうえで事件で亡くなった大学生のことに触れ「あの事件さえなければどんな社会人になっていたのか。その後、家庭を持って子どもが産まれてという人生があったのではないか。あの事件さえなければという思いばかりです」と話しました。

被害者支援の弁護士グループ「遺族ほとんど死刑制度賛成」

犯罪被害者の支援にあたっている弁護士でつくるグループ、「犯罪被害者支援弁護士フォーラム」は、「死刑制度は、人の命を絶つ極めて重大な刑罰で慎重な態度で臨む必要があることは言うまでもない。しかし、死刑制度は最高裁判例でも合憲とされており、法律上、死刑になりうる犯罪の被害者遺族のほとんどが制度に賛成し、一日も早い執行を願っている。法律に従い執行されるのは当然で、今後も法律が順守されることを強く望む」とする声明を出しました。

捜査幹部“今でも自問自答”

当時、警視庁捜査1課の管理官として事件の捜査指揮にあたった石川輝行さんは「けさ、ニュースで死刑が執行されたと知り驚いたが、1つの区切りになると感じた」と話しました。

事件の発生当初について「現場に急行すると、救急隊がけが人のトリアージを行っていて、命が危険な状態の人が相当数いることを認識した。その後は目撃者集めと亡くなった方のご遺族のケアに努めたが『これでよかったのか』と今でも自問自答することがある」と話しました。

加藤死刑囚の取り調べについては「隠し立てすることなく正直に話していた。実社会では友人がおらず、インターネットに没頭していて、ネットの書き込みに対しほかの人から反応が来て生きていることを実感していたが、反応がなくなると孤立を深めていったのだと感じた」と振り返りました。

石川さんは今も毎年、事件の発生日に現場を訪れ手を合わせているということで「被害者は若い人が多かったし、今もけがの後遺症が残っている人もいる。本当に悲劇の現場だと思う。被害者に祈りをささげるとともに、ご遺族にはお悔やみ申し上げたい」と話していました。

手記出版の編集長「なぜ犯行を決断 原稿読んでもわからない」

加藤智大死刑囚は1審判決のあとから死刑確定までの間に手記を4冊出しています。

この中では犯行の直接的な動機について、インターネットの掲示板に犯行予告と見える書き込みをしてしまったことで懲役刑になると思い、刑務所に入るくらいなら死刑のほうがいいと考えたとつづっています。

そして、「掲示板の書き込みを書き換えられると知っていれば事件を起こさなかった」、「私のように『自分』が無い人もさまざまな社会との接点を確保し、事件が思い浮かんでもそこに逃げることで思いとどまってくれたら」などと同じような事件を防ぐためとして自分なりの主張を繰り返し記しています。

本を出版した「批評社」の佐藤英之編集長は死刑の執行について、「あまりに衝撃的な事件で世間が許すことはないとわかっているが、彼に事件について本当のことを聞きたかったのでもう聞けないのは残念だ」と話していました。

佐藤さんは編集のために拘置所で20回ほど加藤死刑囚に面会したということで、初めて顔を合わせた時の印象について、「『本当にこの事件を起こしたの?』と思うほど素直で非常に驚いた」といいます。

2012年に最初に出版した「解」という手記の原稿を初めて読んだ印象については「現場近くの車の中で何度も逡巡して、最後はまだ引き返せる機会はあったのに彼がなぜ犯行を決断したのか原稿を読んでもわからない。面会した彼の印象ともつながらなかった」と話します。

事件の核心や本人の内面について聞き出そうとしましたが、「はじめからシャットアウトしてそこは触れさせないぞという印象が強かった。『自分の悩みについて掘り下げてほしい』と言っても答えなかった。私の力量不足もあり、聞き出せなかった」と悔しさをにじませました。

加藤死刑囚が2審の法廷にも姿を見せず、面会にも応じない一方で本を出版したことには被害者から怒りの声もあがりました。

面会の中で被害者や遺族に対する謝罪のことばは一切なかったということで、「『自分の思いは本で読んでもらえればいい』と思っている印象を受けた。原稿も次第に本質的なことから離れ、本人の都合のいい領域にいってしまった感じだ」と話します。

佐藤さんは手記で明らかになったことは表面的なものだと思うとした上で「高度成長期を経て一定の生活水準が確保された社会で育ってきた若者たちが、友人とも考えを共有することなく切り離されたところで自分だけの世界に閉じこもって生きていく。そんな中で起きた事件だと思う。彼はインターネット上の友人たちにメッセージを送りたいと思って本を出したのではないか」と話していました。

事件モチーフの小説作家“自分事として考えていかないと”

秋葉原事件をモチーフにした小説、「誰でもよかった」を書いた作家の五十嵐貴久さんは、「加藤死刑囚は社会に絶望して無力感にさいなまれ、怒りをどこにぶつけていいかもわからず事件を起こしたのではないかと思って本を書いた。秋葉原の事件のあと、似たような無差別殺傷事件が相次いだ印象があり、背景には、社会の分断や格差の問題もあるだろうし、インターネットの影響も大きいと感じる。秋葉原事件はそれが極端な形として表れたもので、起きてから長い時間がたっているが、ひと事ではなく自分事としてこれからも考えていかないといけないと思う」と話していました。

秋葉原地域連携協議会の元会長“とうとうこの日が来た”

死刑の執行を受けて、事件直後から街の防犯活動などに取り組んできた「秋葉原地域連携協議会」の元会長、大塚實さんは「とうとうこの日が来た、という気持ちです。被害にあわれた方やご遺族の気持ちを思うと、死刑の判決から執行までの間が長すぎるのではないかとも感じています」と話していました。

そのうえで「事件のあとは、街全体のイメージを回復するため、地域の見回りやPRなどさまざまな活動をしてきた結果、事件の影響は今はほとんど見られないが、事件そのものが風化しつつある。こうした悲しみを二度とくり返さないためにも、街の活動を通じて啓発に努めていきたい」と話していました。

秋葉原“街の雰囲気変わった”

死刑が執行されたことについて、現場となった東京 秋葉原では、さまざまな声が聞かれました。

近くに住む70代の女性は「事件のあと、多くの人が集まるところは怖いと思うようになりました。死刑は怖いと感じますが、事件の内容からすれば、仕方がないことなのかなと思います」と話していました。

当時高校生だったという30代の男性は「事件当日も秋葉原に行く予定があり、ニュースを見てやめましたが、もしかしたら自分が巻き込まれていたかもしれないと思っています。事件のあと、大勢の警察官がパトロールするようになって街の雰囲気が変わりました。死刑の執行は他の事件に比べてずいぶん早いと思ったので、驚きました」と話していました。

加藤智大死刑囚とは

加藤智大死刑囚(39)は青森県の出身で、地元の進学校を卒業したあと岐阜県の短大に進学し、事件を起こした当時は工場で派遣社員として働いていました。

事件から1年半余りがたった2010年1月の初公判では起訴内容を認め、「亡くなられた方、けがをされた方、ご遺族には大変申し訳ないことをしました。せめてものつぐないとして私にできることはどうして今回の事件が起きたのかを明らかにすることです」と述べました。被告人質問では事件を起こした理由としてインターネットの掲示板で嫌がらせを受けたことなどを挙げ、「現場に着いた後、意思とは別に体が拒否して交差点に進入できず、このまま戻ろうとも考えたが、自分の居場所がどこにもないと気付いて結局やるしかないと思った」と述べました。
また、通行人を襲った状況については「たまたま目に入った人を走りぎわに刺した」と説明しました。2011年3月、1審の東京地方裁判所は「全く落ち度のない7人の尊い命を奪った人間性の感じられない残虐な犯行で、極刑を選択せざるをえない」と指摘し、求刑どおり死刑を言い渡しました。

2審では法廷に1度も姿を見せず、遺族からは「反省やおわびの気持ちがあるとは思えない」という批判の声が上がりました。この頃には、遺族や被害者に送っていた謝罪の手紙は途絶え、被害者から拘置所で面会を求められても応じませんでした。2審の東京高等裁判所でも死刑が言い渡され、弁護士は「死刑は重すぎる」として上告しましたが、2015年2月、最高裁判所が上告を退け、死刑が確定しました。

加藤死刑囚は1審判決のあとから判決確定までの間に本を4冊出版し、事件の再発防止のためには何が必要か、自分なりの主張をつづっています。上告中に出版された2冊目の巻末には、「社会に対しての説明責任を果たせたなら、後は、ご遺族や被害者の方のことだけを考え、殺される日を待つだけです」と記していました。

再審請求にかかわらず執行 法務省の姿勢明確に

26日、死刑が執行された加藤智大死刑囚(39)は東京地方裁判所に再審・裁判のやり直しを申し立てていました。

再審請求中の死刑囚への執行は、かつては行われない傾向にありましたが、近年、再審請求中であっても刑が執行されるケースが相次いでいます。

4年前には、オウム真理教の一連の事件で死刑が確定していた13人全員に刑が執行されましたが、このうち10人は再審請求を行っていました。

また、その翌年に強盗殺人などの罪で死刑が執行された庄子幸一元死刑囚も再審請求中だったということで、日弁連=日本弁護士連合会は「誤判やえん罪の危険性がある中で再審請求中の死刑執行は問題が残る」などとする会長声明を出しています。

さらに強盗殺人などの罪で死刑が確定し、去年12月に刑が執行された高根沢智明元死刑囚と小野川光紀元死刑囚も再審請求をしていたということで請求の有無にかかわらず事案に応じて執行するという法務省の姿勢が明確になっています。

秋葉原 無差別殺傷事件とは

事件は、14年前の2008年6月8日の白昼に起きました。
休日でにぎわう秋葉原の歩行者天国で、通行人が突っ込んできたトラックに次々にはねられました。トラックを運転していたのは派遣社員だった加藤智大死刑囚。車から降りると、準備していたナイフで近くにいた人たちの腹や背中などを次々に刺し、19歳から74歳までの男女7人の命を奪い、10人に重軽傷を負わせました。買い物などで通りかかった人たちを無差別に襲った事件は、社会に大きな衝撃を与えました。

また、加藤死刑囚が携帯電話を使ってインターネットの掲示板に生活や職場に対する不満や犯行予告を書き込んでいたことも注目を集めました。
事件を起こす前の月には勤務先の工場の派遣契約が終了すると言われ「300人規模のリストラだそうです。やっぱり私は要らない人です」などと投稿。犯行直前には「秋葉原で人を殺します」「車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います」と犯行を予告する内容を書き込んでいました。加藤死刑囚は動機について裁判で「掲示板で『なりすまし』や『荒らし』などの嫌がらせを受け、重大事件を起こすことでやめさせようとした」と述べ、掲示板については「建て前ではなく本音で語り合える場で、生活の中で心のよりどころだった」と説明しました。1審判決は事件の動機として掲示板について挙げたうえで「家族、友人、仕事などを失いどこにも居場所がないという非常に強い孤独感を感じていたことも背景にある」と指摘しました。さらに、白昼の歩行者天国で起きた事件は、警備が比較的緩やかで不特定多数の人が集まる場所の安全確保やテロ対策について、議論が進む契機となりました。

相次ぐ無差別殺傷事件

事件のあと、面識のない人を無差別に殺傷する事件が各地で相次ぎました。

事件の翌月・7月には、東京 八王子市の駅ビルにある書店で、アルバイトの女子大学生が面識のない男に包丁で刺されて死亡し、客の女性も切られて大けがをしました。
男は捜査当局の調べに対し、「誰でもよかった。秋葉原の事件などのニュースを見て刃物なら簡単に人を殺せると思った」などと供述していました。

よくとしの7月には、大阪で営業中のパチンコ店にガソリンがまかれて放火され、客など5人が死亡、10人が重軽傷を負いました。当時、店内には100人を超える人がいて、確定した判決では「日曜日のパチンコ店をねらった計画的な無差別殺人」と認定されています。

さらに2010年には、広島の自動車メーカーマツダの工場で元期間従業員の男が車を暴走させ、1人を殺害、11人に重軽傷を負わせる事件が起きました。殺人などの罪に問われた被告は裁判で、「秋葉原の事件の報道を見て、車で暴走というイメージがあった」と述べていました。
最近でも去年8月に東京の小田急線の車内で、乗客が切りつけられた事件や、その2か月後には京王線で乗客が切りつけられ、車内が放火された事件、さらに、このとしの12月、大阪の心療内科のクリニックが放火され26人が死亡した事件など、多くの人が無差別に巻き込まれる事件が相次いでいます。

事件後 秋葉原は安全対策見直し

事件は、歩行者天国のあり方や商店街での防犯カメラの設置など地域の安全対策を考え直すきっかけにもなりました。
現場となった東京・秋葉原の歩行者天国は事件のあと中止され、アニメやメイドカフェといった若者文化の発信地だった街の姿は、大きく変わりました。千代田区や地元の住民たち、それに電気店の関係者などは安全な街づくりについて検討会を設置して協議を重ねてきました。

そして、住民によるパトロールや防犯カメラの設置など安全面での環境を整えたうえで、事件からおよそ2年7か月後に歩行者天国は再開されましたが、以前より短くなり、路上でのパフォーマンスも禁止されました。