羽生結弦 プロ転向の考え表明 【会見詳細】

フィギュアスケートでオリンピック2連覇を達成した羽生結弦選手が、都内で記者会見を開き、今後、競技会には出場せずプロに転向する考えを明らかにしました。

27歳の羽生選手はソチ、ピョンチャンの2つのオリンピックの男子シングルで金メダルを獲得し、2018年には国民栄誉賞を受賞しています。3連覇をねらったことし2月の北京オリンピックは4位に終わり、その後、現役を続けるかどうかについては明らかにしていませんでした。

フィギュアスケートでオリンピック2連覇を達成した羽生結弦選手が、都内で記者会見を開きました。

国内外のメディア 20台超のテレビカメラ

羽生選手が記者会見を行う会場は、新型コロナウイルスの感染防止対策として取材者の人数などが制限されたにもかかわらず、国内外のメディアから20台を超えるテレビカメラが入りました。開始前から多くの記者が集まり注目度の高さが伺えました。

会見冒頭 感謝の気持ちを表す(午後5時)

羽生選手はスーツにネクタイ姿で登壇し、深く一礼すると、会見の冒頭で「最初にひとつだけ感謝を述べさせていただく。自分のことをここまで応援してくださったファンの方を含めいろんな事を考えながら深くお礼を申し上げます」と感謝の気持ちを話しました。

「プロのアスリートとしてスケートを続ける」

そして、羽生選手は、「プロのアスリートとしてスケートを続けていくことを決意しました」と述べ、今後、競技会に出るかどうかという質問に対し、「これから競技会に出るつもりはないです。結果に対して取るべきものはとれた」と述べました。

プロ転向を決断した時期について、「北京オリンピックが終わって、帰ってきてしばらくして、自分の足首を治すための期間、痛くて滑れなかった。その期間にいろいろ考えたときに、別にここのステージにいつまでもいる必要はない、よりうまくなりたい、強くなりたいと思い決断した」と話しました。

そのうえで、「ピョンチャンオリンピックが終わった時点で引退しようと思っていた。引退という言葉は好きじゃないんですが」と明かしたうえで、「結果にこだわり続けたことで、北京オリンピックまで続けることができた」と述べました。

また、今回の決断について「僕は自分の口から決意を言いたいと思っていたので、大切な人たちには言うことはできなかった」と話しました。

「4回転半ジャンプ成功させたい」

また、北京オリンピックでフリーの演技に組み込んだ4回転半ジャンプについて「より一層取り組んで、皆さんの前で成功させられることを考えながら、これからも頑張っていきたい。4回転半ジャンプを含めて、これからも挑戦をしてフィギュアスケートを大切にしながら羽生結弦の理想を追い求めながらがんばっていきます」と話していました。

その北京オリンピックについては「いい体験ができたと思うし、あのときは痛み止めの注射で何も感じず、何も怖くなくて、全力を出し切って挑むことができた。あのときは本当に4回転半のために努力していたと言っても過言ではない」と振り返りました。

そして「今でも4回転半ジャンプの練習をしていて、得た知見があるからこそ、現段階でもこうやればいいとか、もっとこうできると手応えがある。最近、アイスショーに出てこういった視点があるとか毎日発見があり、これからさらにうまくなっていけると自分への期待とわくわく感がある。北京オリンピックの時は伸びしろはないかと思ったが、今は伸びしろを感じている。期待してください」と話しました。


そのうえで、「挑戦することはこれからも続けていきたい。競技者としてプロとして、アスリートなのか線引きはあいまい。気持ちとしてそんなに大きく変わったつもりはない。これからも夢に向かって努力したい。責任を持って行動して発言し、アスリートとして自分の活動を全うしたい気持ちでいる。4回転半ジャンプを成功させて皆さんの前で見せたい」と改めて意欲を見せました。

「五輪は生きている証し」

またオリンピックについて、「夢を追い続けた、頑張り続けた、ある意味、それを証明できた場所でもあったと思う。自分が生きている証し、皆さんとともに歩み続けた頑張った証しでもあり、これから頑張る土台でもある」と話しました。

そのうえで、「競技会の緊張感が恋しくなることは絶対ないと言い切れます。皆さんが応援し続けたくなる羽生を感じてもらえるよう今後もひとつひとつの演技に自分の死力を尽くして頑張りたい」と次の目標を見据えていました。

「羽生結弦は常に重荷 存在に恥じないよう生きてきた」

質問で自身の存在について聞かれると、
「僕にとって、羽生結弦は常に重荷です。いつも羽生結弦って重たいなと思いながら過ごしていますが、その存在に恥じないように生きてきたつもりですし、これからも羽生結弦として生きていきたい」と述べた羽生選手。

そのうえで、「現状に満足したことはないですし、とにかくうまくなりたいと思っていた。常にうまくなることが楽しみでそれがあったからずっとスケートをやっていた。スケート=生きているみたいなイメージがあり、記録を取れたからとか最高得点出せたからではなく、生きている中でもっと難しいことやりたいという気持ちだけで頑張ってきた」と競技生活を振り返りました。

今後の活動「まだ言えない」

羽生選手はプロとしての今後の活動について、「自分の中で考えたり、話し合って、具体的に進めようとしたりしていることはありますが、具体的にはまだ言えない。今の時代にあったショーなどでファンやスケートを見たことがない方に納得してもらえる演技を見せたい」と話しました。

そのうえで、「23歳でピョンチャンオリンピックを終えて、今の今までかなり成長できたと思っている。どんな努力や工夫をすればいいかわかって今がいちばんうまいと思っている。30歳になっても40歳になってもスケートをやっているかわからないが、この年齢だからできなくなるというのがなくなるかもしれないとワクワクしている」と自信をのぞかせました。

そして、「自分の演技を見てもらい、発言させてもらう場所、聞いてもらう場所があり、本当に運のいい人間だと思う。これからスケートを続けるに当たって、いろいろな面が見えると思う。その中で、アスリートとしてかっこいい、希望とか夢を見せてもらえるなと思ってもらえる存在としてこれからも努力したい」と述べました。
羽生選手は、午後5時56分、およそ1時間の会見を終えると報道陣に深くおじぎをして、会見場をあとにしました。

「これからも羽生結弦らしく」

記者会見のあと写真撮影に応じた羽生選手は最後にファンに向けてあいさつし「改めて応援していただき、本当にありがとうございます。『ました』ではなく『ます』にさせてください。これからも演技を楽しむだけでなく、応援していただけるよう戦い続けます。これからも羽生結弦らしく全力でスケートをするし、努力を続け、全力で結果を求めていきたいと思います。どうかこれからも応援してやってください。本当に長い時間、自分の会見に参加していただき見ていただき、撮っていただき、注目していただき、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします」と述べました。

フィギュアスケート 日本男子のエース

フィギュアスケートの羽生結弦選手は、宮城県仙台市出身の27歳。国内外を問わず多くのファンを魅了する日本男子のエースです。

きめこまやかで流れるようなスケーティングを武器に、曲にあわせて表現力豊かにプログラムを演じます。

高い技術に裏打ちされた華麗なスピンやステップは高い評価を受け、ジャンプでは得意のトリプルアクセルや数種類の4回転ジャンプを操ってトータルで高得点をたたき出します。
特に代名詞ともなっているトリプルアクセルは、軸がぶれない美しい姿勢で着地までキレイに決め、高い出来栄え点を得ることができます。

ピョンチャンオリンピックで大会2連覇を達成したあとは、4回転半ジャンプ、クワッドアクセルの成功を最大の目標として掲げて、去年の全日本選手権で初めてフリーの構成に組み込みました。全日本選手権のあと北京オリンピック本番でも挑みました。

羽生選手の実績

羽生選手はこれまでに男子シングルで
▽オリンピック2連覇、
▽世界選手権の優勝2回、
▽グランプリファイナルで4連覇など、
国際大会で数々の実績を残してきました。

4歳でスケートを始めた羽生選手は、若くして頭角を現し、世界ジュニア選手権やジュニアグランプリファイナルなどで優勝しました。

2010年のシーズンにシニアデビューを果たすと、初戦となったグランプリシリーズのNHK杯で自身初となる4回転トーループを成功させて4位に入賞しました。

そして、2011年の2月に開催された四大陸選手権では、銀メダルを獲得しました。
さらに、グランプリシリーズ、ロシア大会でシリーズ初優勝。グランプリファイナルにも初出場し4位に入りました。その年の全日本選手権は3位で世界選手権の代表に選ばれ、初めて出場した世界選手権では銅メダルを獲得しました。

2012年からは、カナダ・トロントに練習拠点を移し、ブライアン・オーサー氏の指導を受けるとグランプリファイナルで2位、全日本選手権を初めて制しました。2013年にはグランプリファイナルで初優勝、全日本選手権で2連覇を決めて名実ともに日本のエースとしてソチオリンピックの代表に選出されました。

ソチオリンピック本番では、前半のショートプログラムで3つのジャンプすべてを決めて101.45をマークし、史上初めてショートプログラムで100点を超えました。フリーは、冒頭の4回転サルコーで転倒するなど、前半のジャンプにやや精彩を欠きましたが、後半は連続ジャンプを決めて演技をまとめ、世界選手権3連覇のカナダのパトリック・チャン選手を破り男子シングルで日本選手として初めて金メダルを獲得しました。

その後は世界で初めてショートプログラムとフリーの合計で300点を越えたほか、2016年のシーズンにはグランプリファイナルで4連覇、世界選手権では世界最高得点を更新して優勝しました。

ピョンチャンオリンピックを控えた2017年のシーズンはNHK杯で練習中に右足首のじん帯を損傷しましたがオリンピック本番では前半のショートプログラムで得意のトリプルアクセルで高い出来栄え点を得るなど圧倒的な演技を披露してトップに立ちました。後半のフリーではジャンプにややミスが出たもののそのほかは難度の高い構成を大きなミスなく演じ切り、男子シングルで66年ぶりとなるオリンピック連覇を果たしました。
この年の6月には国民栄誉賞を受賞しています。2020年には四大陸選手権で優勝し、世界選手権やグランプリファイナルなどを含む主要な国際大会をすべて制しました。3連覇を目指したことし2月の北京オリンピックでは、4位に終わり、3月の世界選手権は、右足首の痛みなどから出場を見合わせていました。

高い評価を受けたプログラムの数々

羽生選手には、「パリの散歩道」や「SEIMEI」など高い評価を受けた数々のプログラムがあります。
▽「パリの散歩道」は2012年からショートプログラムに使われ、叙情的な曲をジェフリー・バトルさんの優雅な振り付けで演じました。羽生選手はこのプログラムで数々の世界最高得点をマークし、ソチオリンピックでは完璧に演じて高得点をマークして金メダル獲得につなげました。
▽「バラード第1番」は、作曲家のショパンの代表作で、2014年のシーズンから使われ、2020年の四大陸選手権もこのプログラムで優勝しました。落ち着いたピアノのメロディーにあわせて、羽生選手らしい繊細な振り付けを披露しました。
▽「SEIMEI」は、ピョンチャンオリンピックで金メダルを獲得したときのフリーで使われ、羽生選手を代表するプログラムの1つです。平安時代の陰陽師、安倍晴明を描いた映画の曲を用いたプログラムで、和風のゆっくりとしたテンポの曲に合わせながらゆったりとした動きに加え、羽生選手の力強い振り付けがちりばめられていて、独特の世界観が表現されています。
2018年からは、
▽「Origin」
ピョンチャン大会が終わってから発表したプログラムで初めて4回転半ジャンプを組み込むことを想定してつくられました。羽生選手が尊敬するトリノオリンピックの男子シングル金メダリスト、ロシアのエフゲニー・プルシェンコさんがかつて使っていたプログラム、「ニジンスキーに捧ぐ」の曲をアレンジしました。
そして、
▽「天と地と」
このプログラムも冒頭に4回転半ジャンプを組み込むことをイメージしてつくられ、羽生選手が敬愛する戦国武将の上杉謙信を題材にしたNHKの大河ドラマのテーマ曲をアレンジしています。このプログラムについて羽生選手は、「題材となるストーリーや伝えたいストーリーはあるが、そういうものに縛られず、見たひとの中にある背景に訴えかけられるものがあればというふうに思っている」と話しています。

4回転半ジャンプへの飽くなき挑戦

羽生結弦選手は、ピョンチャンオリンピックで2連覇を達成したあと、インタビューで「アクセルは王様のジャンプ。4回転アクセルを目指したい。モチベーションは4回転アクセルだけ」と話し4回転半ジャンプへの挑戦を明らかにしましたが、その道は険しいものでした。
2019年にイタリア・トリノで行われたグランプリファイナルの公式練習でこの大会の演技構成に入れていなかったにもかかわらず、4回転半ジャンプを練習し、観客や報道陣を驚かせました。

羽生選手は、「着氷したかったが、このリンクでトライできたことはとても光栄だった」とトリノオリンピックの舞台だったリンクで挑戦した意味を話しました。そして、「4回転アクセルをやった上で、ジャンプだけではなく、フィギュアスケーターとして完成させたいという気持ちは強い」と力を込めました。
このあと、新型コロナの影響で練習の拠点をカナダから故郷の仙台市に移すと1人で練習を重ねていきます。感覚を研ぎ澄ますために1回転のアクセルジャンプから体の動きを見直し、1000回を超えたという4回転半ジャンプの練習では幾度となく転んで体を氷の上に打ちつけました。

たった1人、練習を続けていくなかで、羽生選手は暗闇の中に1人でいるような感覚に陥り、挑戦することをあきらめようとしたこともあると言います。それでも立ち上がれたのは、夢を抱いていた幼いころの自分の思いに応えるためでした。

「4回転半とか5回転とかを跳びたいですと言っている小さい頃の自分がいたり、それをずっと繰り返してる今の心の中にいる自分がいたり、そういったものにずっと突き動かされていて、自分の体の限界とかフィギュアスケートとしての限界とか、そういうものを感じるたびに限界と勝手に決めつけてしまってる自分を超えたい」

成功のカギとしてあげたのは大きく3点です。
▽どれだけ早く回転を作り始められるか、
▽どれだけギリギリまで回転を続けられるか、
▽右足の軸をどれだけ強く保てるか。

体への負担の大きいジャンプの試行錯誤をやめることはありませんでした。

羽生選手は思うような形にたどり着けない4回転半ジャンプについて「早く会いたい存在。常に後ろ姿が見えていて、霧がかかったところにいるような存在だが、早く会いたい」と話していました。そして、去年12月の全日本選手権。羽生選手は、後半のフリーの演技の冒頭に初めて4回転半ジャンプを組み込みました。

公式練習から繰り返し確かめていたそのジャンプは回転不足や両足での着氷とはなっていたものの、2019年に見せたジャンプから明らかに進化していました。迎えた試合本番は思い切り良く踏み切ると、勢いよく回転をつけて着氷。しかし、回転が足りないと判定されて成功とはなりませんでした。

試合で初めてチャレンジしたことについて羽生選手は、「正直まだいっぱいいっぱい、あそこまででも。悔しいですけど自分のなかでこの練習とこの練習をして、こういうふうに組み上げていくんだという気持ちは明確にあります」と話しました。

そして、北京オリンピックを見据えて「4回転半ジャンプを天と地とに組み込めて今の構成が保てるのであれば、絶対に勝てる。4回転半は自分の武器にしなくてはいけないですし、勝つならやらないといけない」と決意を新たにしていました。
3連覇を狙った北京オリンピックでもフリーの演技の冒頭に4回転半ジャンプを組み込み、本番では勢いよく踏み切って体をまわしたものの、あと1歩のところで着氷はできませんでした。それでも、羽生選手は、その直後の取材で「なんか、ちょっと報われました」とうれしそうに話していました。

そして、「羽生結弦のアクセルとしては、やっぱりこれだったんだと納得できている」と一定の手応えを口にしました。