阪神・淡路大震災から28年 神戸などで犠牲者を追悼する行事

6434人が亡くなった阪神・淡路大震災から、17日で28年になりました。
神戸市など大きな被害を受けた地域では、犠牲者を追悼する行事が行われました。

28年前の平成7年1月17日に発生した阪神・淡路大震災では、建物の倒壊や火災などが相次ぎ、その後の「災害関連死」も含めて6434人が亡くなりました。

神戸市中央区の公園「東遊園地」では、市民団体などでつくる実行委員会による追悼のつどいが開かれ、地震が起きた午前5時46分に、静かに手を合わせ、犠牲者に黙とうをささげました。

公園には犠牲者を追悼する灯籠が、震災が起きた日付の「1.17」と「むすぶ」という文字の形に並べられました。

「むすぶ」という文字には、震災を経験した人が知らない世代に語り継ぐなど、得られた知恵や教訓を伝えていきたいという思いが込められています。
追悼のつどいは新型コロナなどの影響で規模の縮小が続いていましたが、ことしは竹灯籠の数を去年の2倍にして、3年ぶりに感染拡大前の規模で開催されています。

「助けてあげられなくてごめんね」

震災当時1歳半だった孫を亡くした、兵庫県西宮市の86歳の女性は「28年前、山口県岩国市から来ていた孫と一緒に寝ていて、あの子だけ亡くなったので、『助けてあげられなくてごめんね』と毎日祈っている。私があの時、代わってあげたかったと、ずっと思っている。生きていたらお嫁さんもいて子どももいると思う。私が元気だったらこれからもここに来るけど、心の中ではことしで終わりかなと思っている。この追悼のつどいはずっと毎年続いてほしい」と話していました。

母親の行方 28年たった今もわからず

当時65歳だった母親が神戸市で被災し、今も行方がわかっていない、兵庫県加古川市の佐藤悦子さん(59)は、ことしもつどいの場を訪れました。

佐藤さんは「神戸市須磨区の実家で母が被災し、行方不明のままなので、毎年ここに来て、『どこにいたの』って呼びかけている。母はひざや足が悪かったので、近くに行くにも自転車で出かけていたが、実家の焼け跡には自転車があったので、出かけていなかったのではないかと思う。被災した実家の跡はがれきばかりで、すぐに自衛隊や警察が協力して掘ってくれたが、それでも母は見つからず、28年もたった。この東遊園地にある銘板が私にとっては母のお墓みたいなもので、母の名前は高いところにあって手で触れなかったが、去年、脚立を借りて乗って初めて手が届き、母と手をつないだような思いだった。毎年、またこの日が来たのだなと思いながら、私や私の子どもを見守ってねと、母に呼びかけています」と話していました。

追悼のつどいに訪れた人 去年より多く

神戸市によりますと、東遊園地で行われている追悼のつどいに訪れた人は、17日午後5時現在でおよそ3万5000人と、去年に比べて4000人多くなりました。

これまで最も多かったのは、震災から20年となった平成27年の7万5000人です。

追悼行事の数は減少傾向 コロナ禍の影響も

一方、市民グループの調査では、新型コロナの感染拡大前に比べて、兵庫県内の市民団体が開く追悼行事の数は7割に、また、1月17日前後に黙とうや避難訓練などを行う学校や幼稚園も6割程度まで減りました。

震災を経験していない世代が増える中、記憶や教訓をどう継承していくかが、一層大きな課題となっています。