レース後、サニブラウン アブデル・ハキーム選手は、「準決勝で使い切った感じがあって、体の動きはよかったものの最後の詰めが甘かった」と自身の走りを振り返りました。
日本選手で初めてとなる決勝を経験したことについて、「これを糧に、来年も世界選手権があるので、またそこでリベンジしてメダルを取りたい」と充実した表情で話し、早くも次を見据えていました。
陸上世界選手権 サニブラウン決勝7位 10秒06「来年はメダル」
アメリカのオレゴン州で行われている陸上の世界選手権の男子100メートルで、この種目、日本選手で初めて決勝に進んだサニブラウン アブデル・ハキーム選手は、10秒06のタイムで7位に入りました。
前の日本記録保持者で、予選で9秒98の好記録を出し、準決勝でも安定した走りを見せたサニブラウン選手は、この種目、日本選手で初めて上位8人による決勝に進みました。
「準決勝と比べて緊張はなかった」というサニブラウン選手でしたが、抜群の飛び出しだった予選や準決勝と比べて、スタートの反応時間がわずかに遅れました。
それでも、9秒7台のタイムを持つ世界のトップ選手たちに最後まで食らいつき、向かい風0.1メートルの中、10秒06のタイムで7位に入りました。
この種目、世界選手権で初めての決勝に進んだサニブラウン選手は、レース後、力を出し切ってトラックに座り込んでいました。
金メダルは、去年の東京オリンピックで銀メダルだったアメリカのフレッド・カーリー選手で9秒86をマークしました。
銀メダルと銅メダルも地元、アメリカの選手で表彰台を独占しました。
サニブラウン「来年リベンジしてメダルを取りたい」
サニブラウン 初の決勝進出と7位の要因は
9秒97の衝撃から3年。“規格外の男”、サニブラウン選手が日本選手として初めて決勝に進む快挙を成し遂げ7位に入りました。
去年は、腰のけがの影響で、東京オリンピックで100メートルの代表権を逃し、得意なはずの200メートルでは21秒台のタイムで予選落ちに終わるなど、不本意な1年を過ごしたサニブラウン選手。
見事な復活を遂げた要因を今シーズンの発言やレースから探りました。
ことし6月、日本選手権に臨んだサニブラウン選手は、大会前の会見で昨シーズン、ヘルニアによる腰痛に苦しんでいたことを明かし「歩くだけで痛かったり、靴下もはけないほどひどかった」とそのつらさを表現しました。
振り返ってみると、昨シーズン日本選手権前に走ったレースは100メートルを1本だけ。
追い風3.6メートルの中で、10秒25と痛みで本来の走りを取り戻せないまま日本選手権に臨み、決勝では10秒29の6位でオリンピックの代表権を逃しました。
しかし、痛みが癒えた今シーズンは3月に入って初レースに臨み、追い風0.4メートルの中10秒15をマーク。
9秒97をマークした2019年でも、3月に臨んだ屋外の初レースでは10秒30だったことから見れば十分なスタートと言えるものでした。
その後も、4月には追い風2.1メートルの中、10秒08で走り追い風参考記録ながら3年ぶりに10秒0台をマークするなど日本選手権の前に4本のレースに出場。
体が万全な状態で実戦での走り込みを重ねたことで、試合勘や本来の体のキレを取り戻しました。
身長1メートル90センチの大きな体から繰り出すストライドの大きな走りは“規格外”とも言われ、10代の頃から才能が注目されてきたサニブラウン選手ですが、決して器用な選手ではありません。
2017年にアメリカのフロリダ大学に進学し、アメリカに拠点を移してからはオリンピックのメダリストが当たり前に隣にいる環境で、走りをイチから見直してきました。
所属するプロチームでは、チームメートで世界歴代6位の9秒76を持つアメリカのトレイボン・ブロメル選手や、去年の東京オリンピックの男子200メートルで金メダルを獲得したカナダのアンドレ・ドグラス選手など、世界トップクラスの選手たちとのハードな練習で持ち味とする後半の伸びのある走りに磨きをかけてきました。
去年3月、NHKのインタビューに答えた際には「毎日、バキバキの体を動かしている感じ。家に帰ったらシャワー入ってベッドにドンという生活を送っている」と笑顔で話していましたが、これまでにない筋肉痛に苦しむほど体を追い込み、メダリストたちとの力の差を埋めようともがいてきた日々が、ようやく実を結んだ形だと言えます。
そして長く課題としてきたスタートも、今大会は見違えた姿を見せました。
男子100メートル予選のリアクションタイムは、0秒112と予選を通過した24人の中で3番目に速いタイムで、準決勝も0秒124と世界のトップ選手たちに引けを取らない反応のよさでした。
3年前、2019年にドーハで行われた世界選手権の100メートル準決勝では「スタートの音が聞こえなかった」と痛恨のミスでリアクションタイムが0秒206となり、決勝進出を逃しました。
1本の集中力を身に染みて学び、3年がかりで課題を克服してこの種目、世界選手権では日本選手で初の決勝進出という偉業につなげました。
まだ23歳。みずから「伸びしろが分からないのがおもしろい」と話す“規格外の男”は、目標とする「世界一の選手」に向けてさらに大きく飛躍を遂げました。
去年は、腰のけがの影響で、東京オリンピックで100メートルの代表権を逃し、得意なはずの200メートルでは21秒台のタイムで予選落ちに終わるなど、不本意な1年を過ごしたサニブラウン選手。
見事な復活を遂げた要因を今シーズンの発言やレースから探りました。
ことし6月、日本選手権に臨んだサニブラウン選手は、大会前の会見で昨シーズン、ヘルニアによる腰痛に苦しんでいたことを明かし「歩くだけで痛かったり、靴下もはけないほどひどかった」とそのつらさを表現しました。
振り返ってみると、昨シーズン日本選手権前に走ったレースは100メートルを1本だけ。
追い風3.6メートルの中で、10秒25と痛みで本来の走りを取り戻せないまま日本選手権に臨み、決勝では10秒29の6位でオリンピックの代表権を逃しました。
しかし、痛みが癒えた今シーズンは3月に入って初レースに臨み、追い風0.4メートルの中10秒15をマーク。
9秒97をマークした2019年でも、3月に臨んだ屋外の初レースでは10秒30だったことから見れば十分なスタートと言えるものでした。
その後も、4月には追い風2.1メートルの中、10秒08で走り追い風参考記録ながら3年ぶりに10秒0台をマークするなど日本選手権の前に4本のレースに出場。
体が万全な状態で実戦での走り込みを重ねたことで、試合勘や本来の体のキレを取り戻しました。
身長1メートル90センチの大きな体から繰り出すストライドの大きな走りは“規格外”とも言われ、10代の頃から才能が注目されてきたサニブラウン選手ですが、決して器用な選手ではありません。
2017年にアメリカのフロリダ大学に進学し、アメリカに拠点を移してからはオリンピックのメダリストが当たり前に隣にいる環境で、走りをイチから見直してきました。
所属するプロチームでは、チームメートで世界歴代6位の9秒76を持つアメリカのトレイボン・ブロメル選手や、去年の東京オリンピックの男子200メートルで金メダルを獲得したカナダのアンドレ・ドグラス選手など、世界トップクラスの選手たちとのハードな練習で持ち味とする後半の伸びのある走りに磨きをかけてきました。
去年3月、NHKのインタビューに答えた際には「毎日、バキバキの体を動かしている感じ。家に帰ったらシャワー入ってベッドにドンという生活を送っている」と笑顔で話していましたが、これまでにない筋肉痛に苦しむほど体を追い込み、メダリストたちとの力の差を埋めようともがいてきた日々が、ようやく実を結んだ形だと言えます。
そして長く課題としてきたスタートも、今大会は見違えた姿を見せました。
男子100メートル予選のリアクションタイムは、0秒112と予選を通過した24人の中で3番目に速いタイムで、準決勝も0秒124と世界のトップ選手たちに引けを取らない反応のよさでした。
3年前、2019年にドーハで行われた世界選手権の100メートル準決勝では「スタートの音が聞こえなかった」と痛恨のミスでリアクションタイムが0秒206となり、決勝進出を逃しました。
1本の集中力を身に染みて学び、3年がかりで課題を克服してこの種目、世界選手権では日本選手で初の決勝進出という偉業につなげました。
まだ23歳。みずから「伸びしろが分からないのがおもしろい」と話す“規格外の男”は、目標とする「世界一の選手」に向けてさらに大きく飛躍を遂げました。
“規格外の男”サニブラウンの語録
これまでのNHKのインタビューで、サニブラウン選手が語ったさまざまなことば。
その中から特に印象的だったものを紹介します。
【2019年4月】
「オリンピックで表彰台に立ってどんな眺めなのかなというのは、やはり気になる。目指すなら頂点」
このインタビューをしたのは、サニブラウン選手が初めて9秒台をマークしたレースの2週間ほど前。前の年(2018年)には、右太ももの裏の筋肉を痛め、シーズンのほとんどをリハビリに費やしましたが、けがが癒え、東京オリンピックに向けた思いを聞いた時に、自信たっぷりに言い切りました。
このインタビューの2か月後、サニブラウン選手は全米大学選手権であの9秒97の日本新記録を打ちたてました。
【2019年6月】
「普通にちゃんとしっかりやることをやれば、9秒8は全然出ると思っている」
このことばが出たのは、2019年の日本選手権。100メートルと200メートルの2冠を達成した直後でした。ふだんは目標タイムについて多くを語らないサニブラウン選手ですが、大会後のインタビューで「走りが1番かみ合ったらどのくらいまでいけると思うか」という問いに対して、少し考えた後「9秒8は全然出る」と答えてくれました。
課題のスタートさえ克服すれば、本当にありえるのではないか。
そう思えるほど、この時のサニブラウン選手の勢いは、すさまじいものがありました。
【2020年2月】
「9秒97だと、まだ誤差レベルの9秒台かなと。もうちょっとちゃんと9秒出たぞくらいの見えをはれるタイムを出しておきたい」
まだ誰もが2020年7月に東京オリンピックが開幕すると思っていた2月。フロリダで練習に打ち込んでいたサニブラウン選手は、間近に迫っているはずの夢舞台に向け、「明確な目標はやっぱり金メダル」と目を輝かせながら話してくれました。
高い目標を見据えるからこそ出た「9秒97は誤差レベル」ということば。
そこには、みずからの日本記録を一気に更新して、世界の強豪に肩を並べたいという思いがかいま見えました。
【2021年3月】
「最初は差を感じることはあるが、差があった方がもっと練習を頑張れる。そっちの方が自分に合っている」
東京オリンピックの延期が決まった後、サニブラウン選手は7月にプロチームに加入する決断をしました。チームにはオリンピックや世界選手権のメダリストが数多くいる環境で、最初は日々の練習について行くこともやっとだったと言いますが、そこはサニブラウン選手。「同じ人間なので。そんなに萎縮することはなかった」と、すぐにモチベーションに変えていきました。
ただ、毎日の練習で強度と質は世界最高レベルとなった一方で、体が悲鳴を上げヘルニアを発症。腰や足などの痛みが原因で、日本選手権と東京オリンピックでは実力を発揮できませんでした。
【2022年6月】
「日本の短距離界は、まだかごの中の鳥かなと思うことはある」
昨シーズンの悔しさを胸に、迎えた今シーズン。年明けには痛みが癒えたというサニブラウン選手は、春先から精力的にレースに出場し日本選手権では3年ぶりに優勝。
世界選手権の切符をつかみ取りました。大会直後のインタビューで日本と世界のレベルの差について話していた時に出たのがこのことばでした。
「居心地のいいところでやっていてもダメだというのは、チームメートやコーチにいつも言われる。新しいことにどんどんチャレンジすることがいちばん大切で、どんな状況でも臨機応変に自分のパフォーマンスを出せる選手が世界選手権とかの決勝に残っていくんだなというのはいつも見ていて感じる」
日本の短距離のトップ選手は日本の大学に進学し、その後、実業団やプロとして活動していくのが一般的ですが、サニブラウン選手は10代で単身アメリカに渡り、前例のない道を歩んできました。
世界で戦う厳しさを人一倍感じているからこそ、もっと多くの選手に世界に羽ばたいてほしいと感じているのかもしれません。
その中から特に印象的だったものを紹介します。
【2019年4月】
「オリンピックで表彰台に立ってどんな眺めなのかなというのは、やはり気になる。目指すなら頂点」
このインタビューをしたのは、サニブラウン選手が初めて9秒台をマークしたレースの2週間ほど前。前の年(2018年)には、右太ももの裏の筋肉を痛め、シーズンのほとんどをリハビリに費やしましたが、けがが癒え、東京オリンピックに向けた思いを聞いた時に、自信たっぷりに言い切りました。
このインタビューの2か月後、サニブラウン選手は全米大学選手権であの9秒97の日本新記録を打ちたてました。
【2019年6月】
「普通にちゃんとしっかりやることをやれば、9秒8は全然出ると思っている」
このことばが出たのは、2019年の日本選手権。100メートルと200メートルの2冠を達成した直後でした。ふだんは目標タイムについて多くを語らないサニブラウン選手ですが、大会後のインタビューで「走りが1番かみ合ったらどのくらいまでいけると思うか」という問いに対して、少し考えた後「9秒8は全然出る」と答えてくれました。
課題のスタートさえ克服すれば、本当にありえるのではないか。
そう思えるほど、この時のサニブラウン選手の勢いは、すさまじいものがありました。
【2020年2月】
「9秒97だと、まだ誤差レベルの9秒台かなと。もうちょっとちゃんと9秒出たぞくらいの見えをはれるタイムを出しておきたい」
まだ誰もが2020年7月に東京オリンピックが開幕すると思っていた2月。フロリダで練習に打ち込んでいたサニブラウン選手は、間近に迫っているはずの夢舞台に向け、「明確な目標はやっぱり金メダル」と目を輝かせながら話してくれました。
高い目標を見据えるからこそ出た「9秒97は誤差レベル」ということば。
そこには、みずからの日本記録を一気に更新して、世界の強豪に肩を並べたいという思いがかいま見えました。
【2021年3月】
「最初は差を感じることはあるが、差があった方がもっと練習を頑張れる。そっちの方が自分に合っている」
東京オリンピックの延期が決まった後、サニブラウン選手は7月にプロチームに加入する決断をしました。チームにはオリンピックや世界選手権のメダリストが数多くいる環境で、最初は日々の練習について行くこともやっとだったと言いますが、そこはサニブラウン選手。「同じ人間なので。そんなに萎縮することはなかった」と、すぐにモチベーションに変えていきました。
ただ、毎日の練習で強度と質は世界最高レベルとなった一方で、体が悲鳴を上げヘルニアを発症。腰や足などの痛みが原因で、日本選手権と東京オリンピックでは実力を発揮できませんでした。
【2022年6月】
「日本の短距離界は、まだかごの中の鳥かなと思うことはある」
昨シーズンの悔しさを胸に、迎えた今シーズン。年明けには痛みが癒えたというサニブラウン選手は、春先から精力的にレースに出場し日本選手権では3年ぶりに優勝。
世界選手権の切符をつかみ取りました。大会直後のインタビューで日本と世界のレベルの差について話していた時に出たのがこのことばでした。
「居心地のいいところでやっていてもダメだというのは、チームメートやコーチにいつも言われる。新しいことにどんどんチャレンジすることがいちばん大切で、どんな状況でも臨機応変に自分のパフォーマンスを出せる選手が世界選手権とかの決勝に残っていくんだなというのはいつも見ていて感じる」
日本の短距離のトップ選手は日本の大学に進学し、その後、実業団やプロとして活動していくのが一般的ですが、サニブラウン選手は10代で単身アメリカに渡り、前例のない道を歩んできました。
世界で戦う厳しさを人一倍感じているからこそ、もっと多くの選手に世界に羽ばたいてほしいと感じているのかもしれません。