ロシア軍の砲撃で大けがのウクライナ人男性 日本に避難し治療
ウクライナへの侵攻を続けるロシア軍による砲撃で大けがをしたウクライナ人の男性が今月21日、来日し、千葉市内の病院で治療を受けていることが分かりました。
軍事侵攻以降、ロシア軍の攻撃でけがをしたウクライナの人が、支援者や病院の協力で日本に避難してきたのは初めてとみられます。
ウクライナから日本に避難し、治療を受けているのは、アントン・コルニシュクさん(37)です。
コルニシュクさんによりますと、ことし3月25日、ウクライナの首都キーウ近郊のイルピンで住民の避難を手助けしていたところ、ロシア軍による迫撃砲で大けがをしたということです。
ウクライナ西部のリビウにある国立大学で、日本語を学んでいて、指導教官が日本人の友人のつてをたどって支援を求めたところ、千葉大学医学部附属病院が受け入れを決めました。
コルニシュクさんは今月21日、ポーランドの首都ワルシャワ経由で成田空港に到着したあと、直接、病院に搬送され治療を受けています。
病院によりますと、コルニシュクさんは、右足やろっ骨が折れているほか、左足のアキレスけんの一部が切れていて、これから2か月入院して、治療やリハビリを受ける必要があるということです。
コルニシュクさんは、NHKの取材に対して「医師から『ゆっくり治していく』という話を聞いた。体調はよくなっていて、必ず体を治して、もし戦争が続いていれば戦う。戦争が終わっていれば、日本とウクライナの交流を担っていきたい」と話していました。
コルニシュクさんが治療目的で避難してきたことについて、出入国在留管理庁は「これまでに同様のケースがあったとは把握していない」としていて、ロシア軍の攻撃でけがをしたウクライナの人が、支援者や病院の協力で日本に避難してきたのは初めてとみられます。
コルニシュクさんの来日経緯
アントン・コルニシュクさんは、ウクライナ西部のリビウにある国立大学で去年8月から社会人学生として日本語を学んでいて、日本への留学も希望していたということです。
コルニシュクさんによりますと、ロシアによる軍事侵攻を受けて、市民などでつくる領土防衛部隊の衛生兵となり、首都近郊のイルピンで住民の避難を手助けしていたところ、ことし3月25日、ロシア軍の迫撃砲で大けがをしたということです。
その後、大学の准教授で、日本語を教えるオレスタ・ザブランナさんが、コルニシュクさんから連絡を受け、本人の意向も踏まえて日本への避難を実現させようと、20年以上にわたって親交のある日本人女性を通じて千葉大学医学部附属病院に支援を求めたところ、病院側が受け入れを決めたということです。
コルニシュクさんは今月11日、治療を受けていた首都キーウにある軍の病院を退院したあと、日本に入国するための必要書類を取得し、リビウから鉄道で国境を越えて隣国ポーランドへ行き、20日、ワルシャワから直行便で日本に向かったということです。
日本行きを前にワルシャワでNHKの取材に応じたコルニシュクさんは「ウクライナでは今も私の友達が戦っています。ウクライナで何が起こっているのか、ウクライナ人として、日本の皆さんに伝えたい」と話していました。
また、コルニシュクさんの支援にあたったリビウ国立大学のザブランナさんは「彼が日本にたどりつくことができて、ほっとしています。しっかりと治療を受けてもらい、日本の大学での勉強や経験を豊かにすることなど、希望をかなえてほしい」と喜びを語っていました。
コルニシュクさんによりますと、ロシアによる軍事侵攻を受けて、市民などでつくる領土防衛部隊の衛生兵となり、首都近郊のイルピンで住民の避難を手助けしていたところ、ことし3月25日、ロシア軍の迫撃砲で大けがをしたということです。
その後、大学の准教授で、日本語を教えるオレスタ・ザブランナさんが、コルニシュクさんから連絡を受け、本人の意向も踏まえて日本への避難を実現させようと、20年以上にわたって親交のある日本人女性を通じて千葉大学医学部附属病院に支援を求めたところ、病院側が受け入れを決めたということです。
コルニシュクさんは今月11日、治療を受けていた首都キーウにある軍の病院を退院したあと、日本に入国するための必要書類を取得し、リビウから鉄道で国境を越えて隣国ポーランドへ行き、20日、ワルシャワから直行便で日本に向かったということです。
日本行きを前にワルシャワでNHKの取材に応じたコルニシュクさんは「ウクライナでは今も私の友達が戦っています。ウクライナで何が起こっているのか、ウクライナ人として、日本の皆さんに伝えたい」と話していました。
また、コルニシュクさんの支援にあたったリビウ国立大学のザブランナさんは「彼が日本にたどりつくことができて、ほっとしています。しっかりと治療を受けてもらい、日本の大学での勉強や経験を豊かにすることなど、希望をかなえてほしい」と喜びを語っていました。
コルニシュクさんの治療の状況
アントン・コルニシュクさんは3日前の今月21日に成田空港に到着したあと、千葉大学医学部附属病院に救急車で搬送されました。
病院ではすぐに傷口の消毒や新しい包帯の交換などの応急処置が行われました。
このあと、けがの状況を確認するためレントゲン写真の撮影なども行われ、病院によりますと、コルニシュクさんは右足やろっ骨が折れていたほか、左足のアキレスけんの一部が切れていて、これから2か月入院して、治療やリハビリを受ける必要があるということです。
治療を担当する松浦佑介医師は「骨折は皮膚も欠損していたので、ひどいけがだったと思います。今までどおり歩けるように治療したい」と話していました。
コルシェニクさんはウクライナ西部のリビウにある国立大学で日本語を学んでいて、NHKの取材に日本語で「この戦争を終わりにしたい。僕たちウクライナと日本の絆はもっとよくなると思います」と話していました。
病院ではすぐに傷口の消毒や新しい包帯の交換などの応急処置が行われました。
このあと、けがの状況を確認するためレントゲン写真の撮影なども行われ、病院によりますと、コルニシュクさんは右足やろっ骨が折れていたほか、左足のアキレスけんの一部が切れていて、これから2か月入院して、治療やリハビリを受ける必要があるということです。
治療を担当する松浦佑介医師は「骨折は皮膚も欠損していたので、ひどいけがだったと思います。今までどおり歩けるように治療したい」と話していました。
コルシェニクさんはウクライナ西部のリビウにある国立大学で日本語を学んでいて、NHKの取材に日本語で「この戦争を終わりにしたい。僕たちウクライナと日本の絆はもっとよくなると思います」と話していました。
来日をサポートした恩師は
アントン・コルニシュクさんの来日をサポートした、リビウ国立大学で准教授をつとめるオレスタ・ザブランナさんは、「アントンさんが日本にたどりつくことができてほっとしています。日本に行くという彼の夢を実現できてうれしいです」と来日が実現したことへの喜びを語りました。
コルニシュクさんに大学で日本語を教えていたザブランナ准教授は先月、コルニシュクさんが大けがをしたことを知った当時の心境について「ウクライナでは毎日、人が命を落としたりけがをしたり、そして住む場所をなくしたりしていますが、自分の学生のことを知ったときは、やはりショックでした。自分に何ができるかずっと考えていました」と語りました。
コルニシュクさんが日本での治療やリハビリ、それに日本語の勉強を希望したことから、来日が実現するよう、出国審査に関わる書類を準備したり、診断書を翻訳したりしてサポートしたということです。
ザブランナさんは「ウクライナでは今、ちゃんとした教育を受けられないなど“目に見えない被害”もたくさんあると実感しています。日本は、ウクライナ人のニーズを考えたプログラムを検討していて、支援のしかたにとても感謝しています」と話していました。
そして、「アントンさんにはしっかりと治療を受けてもらい、日本の大学での勉強や経験を豊かにすることなど希望をかなえてほしいです」と話していました。
一方、西部のリビウに住むサブランナさん自身も国外への避難を検討してきましたが、ウクライナ政府による制限で国内に残らなければならない成人の息子がいることなどから避難するかどうか決めかねてきたということです。
サブランナさんはウクライナの今後について「領土が奪われ、また戦争になるかもしれないという“不利な平和”は避けなければなりません。私たちが負けることなく戦争が終わってほしいです」と話していました。
コルニシュクさんに大学で日本語を教えていたザブランナ准教授は先月、コルニシュクさんが大けがをしたことを知った当時の心境について「ウクライナでは毎日、人が命を落としたりけがをしたり、そして住む場所をなくしたりしていますが、自分の学生のことを知ったときは、やはりショックでした。自分に何ができるかずっと考えていました」と語りました。
コルニシュクさんが日本での治療やリハビリ、それに日本語の勉強を希望したことから、来日が実現するよう、出国審査に関わる書類を準備したり、診断書を翻訳したりしてサポートしたということです。
ザブランナさんは「ウクライナでは今、ちゃんとした教育を受けられないなど“目に見えない被害”もたくさんあると実感しています。日本は、ウクライナ人のニーズを考えたプログラムを検討していて、支援のしかたにとても感謝しています」と話していました。
そして、「アントンさんにはしっかりと治療を受けてもらい、日本の大学での勉強や経験を豊かにすることなど希望をかなえてほしいです」と話していました。
一方、西部のリビウに住むサブランナさん自身も国外への避難を検討してきましたが、ウクライナ政府による制限で国内に残らなければならない成人の息子がいることなどから避難するかどうか決めかねてきたということです。
サブランナさんはウクライナの今後について「領土が奪われ、また戦争になるかもしれないという“不利な平和”は避けなければなりません。私たちが負けることなく戦争が終わってほしいです」と話していました。