沖縄がアメリカ統治下から本土に復帰する際、県民の多くが期待したのはアメリカ軍基地の返還でした。
沖縄防衛局などによりますと、本土復帰した昭和47年当時、沖縄にあるアメリカ軍の専用施設は83に上り、その面積は合わせて2万7850ヘクタールと沖縄本島の20%を占めていました。
その後、平成7年に発生したアメリカ兵による暴行事件をきっかけに基地の整理縮小を求める声が高まり、日米両政府は普天間基地を含む11か所の施設の返還で合意しました。
さらに平成25年には日米両政府が在日アメリカ軍の再編計画に合意し、嘉手納基地より南にあるアメリカ軍専用施設の返還を段階的に進めることが公表されました。
計画では沖縄の基地負担を軽減するためとして、沖縄に駐留する第3海兵遠征軍のうちおよそ4000人が今後、段階的にグアムに移転することになっています。
一方、これから計画されている那覇軍港や浦添市にある牧港補給地区の返還は、いずれも基地の機能を県内移設することが条件となっています。
26年前に全面返還が合意された普天間基地をめぐっては、国が名護市辺野古沖で移設工事を進めていますが、沖縄県が反対していて対立が続いています。
本土復帰からの50年でアメリカ軍の専用施設は半分以下に当たる31か所、総面積は沖縄本島の14%余りに当たる1万8483ヘクタールまで減少しました。
しかし国土面積のおよそ0.6%にすぎない沖縄には今も在日アメリカ軍の専用施設のおよそ70%が集中しています。
自治体の面積に占める基地の割合は嘉手納基地がある嘉手納町で82%、キャンプハンセンがある金武町で55.6%に及びます。
中国の海洋進出など日本を取り巻く安全保障環境が厳しさを増す中、沖縄の基地の重要性は増しているとも指摘され、去年1年間に嘉手納基地と普天間基地を軍用機が離着陸した回数はいずれもおととしより増加しました。
沖縄本土復帰 きょう50年 「本土並み」実現に今も多くの課題
沖縄が本土に復帰してから15日で50年となります。
沖縄には今も在日アメリカ軍専用施設の7割が集中しているうえ、経済面でも県民所得が全国の75%にとどまり、復帰当時に人々が期待した「本土並み」の実現には課題が多く残されています。
沖縄戦のあと27年にわたってアメリカ統治下に置かれた沖縄は、50年前の昭和47年5月15日、本土に復帰しました。
15日は沖縄県と政府による記念式典が沖縄と東京の2つの会場で同時に開かれます。
本土復帰当時と比べるとアメリカ軍専用施設の面積は3分の2に減少しましたが、国土面積のおよそ0.6%にすぎない沖縄には今も専用施設のおよそ70%が集中しています。
基地から派生する事件や事故、騒音などの被害は後を絶たず、政府が進める普天間基地の名護市辺野古沖への移設をめぐっては、県が計画に反対していて溝は深まったままです。
一方、経済の面では観光業の急成長で観光収入が令和元年までの10年間で2倍近くに増えました。
また、かつて全国の倍ほどの高さだった完全失業率は、令和元年には2.7%にまで下がり、全国(2.4%)との差は縮まりました。
ただ県民1人当たりの所得は平成30年度の時点で239万円余りと、全国のおよそ75%にとどまっていて、今なおその差は大きく開いています。
沖縄の人々が本土復帰に期待した「本土並み」の実現には、50年がたった今も課題が多く残されています。
今も在日米軍 専用施設の約70%が集中
経済の「本土並み」なお差は開く
沖縄は昭和47年の本土復帰以降、経済の面でも「本土並み」となることを目指してきました。
とりわけこの10年は大きな前進がみられたものの、今なおその差は開いています。
このうち沖縄の主要産業である観光業はインバウンド観光客の増加などにより、この10年間で急成長しました。
新型コロナの影響を受ける前の令和元年、沖縄を訪れる人は初めて年間1000万人を超え、観光収入はおよそ7500億円に上り、10年で2倍近くに増えました。
これを受け、雇用状況も改善しました。
復帰40年を迎えた平成24年の完全失業率は6.8%と、全国の4.3%を大幅に上回っていましたが、新型コロナの影響を受ける前の令和元年には2.7%まで下がり、2.4%の全国との差は縮まりました。
一方、沖縄県民1人当たりの所得は平成30年度の時点で239万円余りと、国民所得のおよそ75%にとどまっています。
観光業の成長などで雇用の受け皿は増えた反面、非正規雇用の割合は令和3年では39%と全国を上回るほか、労働生産性は全都道府県で最も低く平成28年の時点で全国の7割ほどにとどまっていて、雇用や労働の「質」をどう高めていくかが課題になっています。
また観光業を中心とした経済の発展に伴い、アメリカ統治下で形成されたいわゆる「基地経済」への依存度は年々低くなっていて、県民総所得に占める基地から得られる収入の割合は、復帰当初、昭和47年度に15.5%だったのが、平成30年度は5.1%にまで減少しました。
とりわけこの10年は大きな前進がみられたものの、今なおその差は開いています。
このうち沖縄の主要産業である観光業はインバウンド観光客の増加などにより、この10年間で急成長しました。
新型コロナの影響を受ける前の令和元年、沖縄を訪れる人は初めて年間1000万人を超え、観光収入はおよそ7500億円に上り、10年で2倍近くに増えました。
これを受け、雇用状況も改善しました。
復帰40年を迎えた平成24年の完全失業率は6.8%と、全国の4.3%を大幅に上回っていましたが、新型コロナの影響を受ける前の令和元年には2.7%まで下がり、2.4%の全国との差は縮まりました。
一方、沖縄県民1人当たりの所得は平成30年度の時点で239万円余りと、国民所得のおよそ75%にとどまっています。
観光業の成長などで雇用の受け皿は増えた反面、非正規雇用の割合は令和3年では39%と全国を上回るほか、労働生産性は全都道府県で最も低く平成28年の時点で全国の7割ほどにとどまっていて、雇用や労働の「質」をどう高めていくかが課題になっています。
また観光業を中心とした経済の発展に伴い、アメリカ統治下で形成されたいわゆる「基地経済」への依存度は年々低くなっていて、県民総所得に占める基地から得られる収入の割合は、復帰当初、昭和47年度に15.5%だったのが、平成30年度は5.1%にまで減少しました。